タイトル: | 喪われていく「母」の物語
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価 格: | ¥1,680 (税込)
2016年7月再版より¥1,000 (税込)にて販売。 |
発 行: | (株)文芸社 |
初 版: | 2009年10月15日 |
初 刷: | 2009年10月15日 |
再 版: | 2016年 7月 |
−帯書き−
娘の夫の顔を忘れるほどに認知症が進んだ母。
混乱した母と言い争うたびに心を襲う猛烈な罪の意識と自己嫌悪。
しかし、そんな母の来し方をたどれば、そこには多くの知恵と子供たちへの深い愛情があった。
すべてが喪われてしまう前に、たくさんの思い出と記憶を留めたくて、これまでの日々を綴った。
──願わくはその記録が、人々が日々を生きるためのヒントにならんことを祈って。
−推薦文−
認知症患者の介護話だと聞くと、たいへん重苦しいものに感じる。
しかし本書は、著者の母親が元気に働いていた当時の話などが本書全体の半分くらいを占め、私は本書を読むうちに、貧しくも活気があった時代を感じて前向きな気分にさせられた。
「私はいい時代に生まれた。電化製品のない時代を知っていて、十代の頃から電気洗濯機やら冷蔵庫やらテレビやらが家に入ってきて、生活がどんどん便利になっていった。あの新鮮な感激を味わった世代だからね」
「私のほうが、あんたよりいい時代に生まれたと思うよ。薪を割ってカマドにくべて、ご飯を炊いていた時代だもの。便利になっていく驚きとありがたさが身に沁みた。だから、あんたよりもずっと幸せ者だね」
著者と、著者の母親との会話である。
ここに、「ありがたいこっちゃ」が口癖だという著者の母親と、著者の性格が見て取れる。
生活や仕事の苦労を愚痴らずに、前向きにとらえられるタイプのようだ。働き者が多いと言われる、富山女性の典型的タイプなのかもしれない。
そんな著者が傷つき涙するのだから、自分の母親が認知症になりその側にいることが想像を絶する苦難であることがうかがい知れる。
この本を読んだことで、私は漠然としていた“認知症の親との生活”を少しは具体的にイメージできたように思う。
悲しくも愛しい存在。
認知症の親とは、そういう存在であろう。
その悲しくも愛しい存在は、時に親子心中さえも決行させるほど、子を苦しめる。
人々が欲した“身体の長寿化”が、“脳の長寿化”に先行したことが、このような苦悩を多発させたのであろう。
では、脳の長寿化が追いつけば、死ぬまで幸福でいられるのであろうか。
そんなことはない。
幸福であるかどうかは、いわゆる“心の持ち様”次第だ。
この本には、著者の悲しい現実と共に、幸福に生きるためのヒントが詰まっている。
フリーライター 米村安優
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