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 私はいろいろな教室を回ってそろばんを教えながらたくさんの子供たちを見てきており、大人になった教え子たちと再会する喜びを何度も経験しています。

  けれども、「寛子さん」には二度と会うことはできません。

  1988年12月。
 当時富山市内の中学1年生だった寛子さんは、学校でのいじめに悩み、自らその命を絶ちました。


クリスマス会間近に

 その日、そろばん教室でクリスマス会の飾りつけをしていると、寛子さんは「先生、私も手伝ってあげる」と手を差し伸べてくれました。
 いつものように明るく元気な様子で、何も変わったところはないように見えました。

  しかしその翌日、彼女は逝ってしまったのです。
  「もう、だれも、いじめないで」という悲痛なメッセージを残して。

  学校という集団の中で起こる陰湿ないじめ。
 生徒を追い詰め、死を選ばせてしまう恐ろしい社会問題です。

  死の前日、あれほど明るく振舞っていた生徒が、なぜ何も言わずに逝ってしまったのか─
  当時、私は親しく接していた教え子の死に衝撃を受け、彼女の苦しみとSOSに全く気付かなかった自分を責め続けました。


入院中の私が見た寛子さん

 2006年12月。
 私は忙しさから体調を崩し、しばらく入院治療することになりました。
  ある晩、ベッド横のテレビを何気なくつけると、寛子さんの笑顔が映し出されました。

  「寛子ちゃん!」
 私は思わずテレビに向かって叫びました。

  その年、いじめによる自殺がいくつも起こり、18年前の寛子さんの死についてニュース番組が取り上げていたのです。
 そして、寛子さんのご両親の悲しみと、寛子さんが残した「もう、だれも、いじめないで」というメッセージを伝えていました。

  テレビをつけた瞬間に目の前に現れた寛子さんの姿は、私に何か大切なことを訴えているのではないだろうか─
 入院中だったこともあってか、私は命の大切さをより強く感じ、グルグルと想いを巡らせました。
 そして、今度こそ寛子さんのご両親に御目にかかろうと決心したのでした。


生き抜く力

 「明るくて、人への思いやりがある、心の優しい生徒さんでした」
 私は寛子さんのご両親に、そうお伝えしました。
  長い年月が経っているにも関わらず、教え子の思い出は一向に色褪せることなく、今も私の胸の中にあるのです。

  寛子さんのように人知れず苦しむ子供たちのために、何かできることはないだろうか─
その時から私は考え始めました。

  そしていま、そろばん教室の子供たちに向けて、失われた二度と取り戻せない命のこと、もしいじめに遭ったら勇気を奮って家族や学校に救いを求めることを訴えています。
 市内の小中学校の講演でも、必ずこの話をさせていただいています。

  また、私共の学園の講師研修会でも、大人が子供たちの発するサインをしっかり受け止められるよう、心の問題について話し合っています。

  いじめ問題の本質は、子供たちではなく、きちんと向き合わない大人の側にあるのではないでしょうか。
 たった一度の人生を、どの子もたくましく生き抜いて欲しい。

  「もう、だれも、いじめないで」

  教え子が遺した言葉を胸に刻み、私はこれからも機会がある度に語りかけていきたいと思います。

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